旅日記北海道編2003 再訪(6)

 HP「塀の中の懲りない面々」に連載中


第六日 厚岸の牡蠣はやっぱり絶品だったわけで



野付半島
野付半島の道路



 「海の宿 みさき」は家庭的な雰囲気のいい宿だった。いつかまた訪れることもあるだろう。俺は尾岱沼を後にした。今日は朝から野付半島に向かうつもりだ。

 野付半島は海老が背を曲げたような形の細長い半島である。野付の語源は、アイヌ語のノツケウ(岬、顎の骨)からきているらしい。俺は野付半島の先端にあるトドワラという場所が好きで、ここ数年連続で訪れている。尾岱沼を海沿いに北上するとすぐ野付半島の入口がある。この道は両側が海という日本では珍しい道である。俺は車窓を全開にしてわざとゆっくり走りながら海風を感じた。まだ朝早いため車もほとんど走っていない。

 ナラワラの観賞は簡単に済ませ、トドワラの駐車場に到着する。小さな展望台からは北方領土がよく見える。

  展望台からの風景        遊歩道

  ハマナス等が咲く        ハマナスの花と実

 「野付半島ネイチャーセンター」では、懐かしい三角形の「別海牛乳」を購入するのが俺の定番だ。さて、いよいよトドワラへ足を踏み入れるとしよう。

 トドワラまでは遊歩道を歩いて20分程かかる。9月ということもあり、遊歩道はススキが風に揺れ物悲しい雰囲気を漂わせる。しかし、寂しさを紛らわしてくれるように、所々にハマナスやエゾフウロ等の花が咲き、単調になりがちな遊歩道も全く苦痛ではない。サビの部分を省略した鼻歌を口ずさみながら早足で遊歩道を歩いた。

 トドワラに到着した。木製の散策路を一人で歩く。約束通りまたここに帰って来たよ。俺は心の中でつぶやいた。トドマツの風化はこの一年でさらに進んだような気がするのは気のせいか?一本だけ高く残ったトドマツに海鳥がとまり、独特の寂寥感を感じさせる。

  荒涼        トドワラ

 この風景が見られるうちに、もう何度かは訪れたいものだ。俺は散策路の途中にあるトドワラ保存の募金箱に小銭を投げ入れた。
 散策路の下には小さな花が咲いている。十数年後にはトドマツの林は跡形もなく消え去り、ここは全く違った風景になっているかも知れない。自然の「生」と「死」を感じさせるこの場所を、俺はいつまでも心に留めていたい。俺はそう思った。



開陽台〜裏摩周〜神の子池


 野付半島を後にした俺は車を西に走らせた。開陽台、裏摩周、神の子池は、距離的に近いこともあり、まとめて観光するには非常に便利である。

  開陽台へ向かう道        鐘を鳴らす俺

 開陽台は標高271mの台地で、330度の大パノラマといわれる眺望は、眼前に広大な放牧風景が広がり、遠くには野付半島、ノサップ岬、北方領土の国後島までが一望できる。文句なしに道東1の展望スポットである。開陽台へ続く一本道は通称"ミルクロード"といわれ、昔から多くのライダーが愛する道である。かつて、開陽台が"ライダーの聖地"と呼ばれた所以であろう。ライダーではない俺も何となくこの道が好きで、学生のころから何度も開陽台を訪れている。

  開陽台@        開陽台A

 長い階段を登り展望台へと向かう。何度も訪れたことがあるため新鮮な感動はないが、見事な眺望だ。眼下には見渡す限りの牧草が広がり、のどかな乳牛の放牧風景が見られる。天気に恵まれたため、はるか遠くには先ほどまでいた野付の方も見える。
 売店では70円のビタミンカステラと中標津牛乳、珈琲牛乳を購入する。どれも素朴な味で美味だった。

  開陽台B        牛乳とカステラ

 続いて裏摩周に向かう。裏摩周湖展望台は、第一・第三展望台より標高が低いため、霧に邪魔されることが少ないそうだ。とは言っても、俺は表でも裏でも、一度も霧の摩周湖を体験したことはないのだが。そんなことよりも、俺はむしろ観光客が少ないため裏摩周が好きである。この日も2〜3組の観光客しかいなかった。売店で、親父への土産に神の子池の水で作ったという焼酎を購入する。親父が喜ぶ顔が浮かんだ。

  裏摩周展望台からの風景        裏摩周A

 さて、天候に恵まれたお陰で、裏摩周の展望もなかなかのものだった。先日見た第三展望台からの眺望程の感動はなかったが。裏摩周は、第三展望台の丁度反対側からの眺めということになる。

 続いて、裏摩周とセットで楽しみたい神の子池へ向かった。昨年は、池に多量の小銭が投げ込まれているのを目撃して非常に不快な思いをしたのだが果たして…。

  神の子池のブルー        佇む俺

 ……。ダートを抜けて到着した神の子池は、変わらない見事なブルーで俺を迎えてくれた。このブルーだけは本当に筆舌に尽くしがたい蒼である。何度見ても感動する風景というものも確かにあるのだ。時折、オショロコマが泳ぐ姿も見える。俺は魂を抜かれたように、しばし水面を眺め続けた。

  神の子池B        神の子池C

 昨年と変わった点が一つあった。「池に小銭等を投げ込まないで下さい」という看板が立っていたのだ。昨年、大量に投げ込まれていた小銭は綺麗に無くなっていた。恐らく地元の人が片付けたのだろう。こんな看板を立てなければマナーを守れない人がいることは悲しいことだ。

  一枚の看板が        小銭は綺麗に無くなっていた。オショロコマが泳ぐ

 今夜の宿は厚岸である。もう一息走らねばなるまい。北海道最後の夜は、牡蠣三昧の予定だ。



多和平〜厚岸


 今夜の宿、厚岸の鈴木旅館へ向かう途中、俺はもう一箇所寄り道することにした。摩周湖から南へ15キロ。道東では開陽台と並ぶ程有名な展望スポット、多和平である。多和平は元々は町営牧場で、牧場としては2200ヘクタールという日本一の広さを誇るという。

  多和平        多和平A

 駐車場に車を停め、展望台に向かった。開陽台ほど観光客もいない。というか、ほとんど展望台へ上がるまで、誰ともすれ違わなかった。展望台から景色を眺める。
 ………。広い!。とにかく広大である。遮蔽物が全くないので、地平線を360度を見渡せる。見えるのは牧草の緑と、空の青のツートンカラーのみ。ここは心を平和にさせてくれる。本当に来て良かった。
 ここにはキャンプ場もあり、牧草のサイトはとても快適そうである。ここでキャンプというのも良さそうだな。俺はごろりと横になり、しばし空を眺めた。雲がゆっくりと流れていく。夜には満点の星空を望めるだろう。ゆっくりしたいところだが、そうもいかない。明日には俺の旅は終わってしまうのだな。それを思うと少し切なかった。

 車をさらに南へと走らせ、厚岸に到着する。北海道最後の夜は、ここ鈴木旅館である。鈴木旅館は厚岸でも老舗の旅館で、美味しい牡蠣料理で有名な宿である。宿泊料金は6800円からだが、今回料理のランクを2つ上げたので8800円である。夕食まで少し時間があったので、俺は愛冠(アイカップ)岬や涙岬等、岬巡りを楽しんだ。

  愛冠岬        涙岬

 いよいよ夕食の時間だ。無類の牡蠣好きの俺は小躍りしながら食堂に向かう。田宮二郎等、大物芸能人のサインが沢山飾られた和室に、豪華な食事が用意してあった。
 焼き牡蠣、牡蠣フライ、生牡蠣、牡蠣鍋。さらに根室の焼き秋刀魚、秋刀魚と北海シマエビの刺身、茹でたシマエビにツブ貝、吸い物に漬物。ちなみに、生牡蠣と牡蠣鍋は追加料金分だ(もう千円プラスで花咲ガニが付くらしい)。牡蠣の産地だけあってどの牡蠣も身が厚く、締まっており絶品だ。生牡蠣はサルサソースがかかり、独特の風味がマッチしている。秋刀魚の産地・根室も近いだけあり、焼き秋刀魚も刺身も脂が乗り非常に美味い。北海シマエビの刺身はまだ生きており、ピチピチと動いていた。最後の晩餐に相応しい大満足な内容だ。これ以上料理を追加しなくて本当に良かった。

  鈴木旅館の料理        生牡蠣

 食後は、温泉ではないが、清潔で大きな風呂に浸かりながら疲れを癒した。北海道最後の夜か…。様々な想いが頭の中を駆け巡った。部屋に戻った俺は、一人、セイコーマートの安ワインを掲げた。
 「北海道最後の夜に、乾杯!」





第七日 最終章 旅の終わりはいつも寂しいわけで


 釧路でレンタカーを返した俺は、和商市場で最後の勝手丼を食べた。鈴木旅館で朝食を食べたため、軽めに済ませる。釧路駅で昼食の"かきべん"と"ねこたまlove"、ワインを購入し、スーパーおおぞらに乗り込んだ。昨晩、あれ程牡蠣を食べたのに、また食べたくなるとは…。"ねこたま"は、帰りの列車の定番で、餅の中に凍った生クリーム等が入っており、少し溶けてから食べると美味しい。行きの列車と同じく、景色が良くなってから弁当の蓋を開ける。

  かきべん        ねこたまlove

 窓から見える風景は、数日前よりさらに紅葉が進んでいるようだ。夢のような時間だったが、確実に時は流れていたのだ。俺の旅もこれで終わりである。だが、北海道での一週間は、俺が生きていくうえで大きな活力をくれた気がする。
 「ありがとう、北海道。来年もまた元気をもらいに来るよ。」
 列車は札幌に向けて、さらに現実に向け、加速していった。



旅日記北海道編2003 再訪  



あとがき 連載に一年近くかかってしまったわけで
野付半島の道路



 北海道を後にした翌々日、ニュースで十勝沖地震があったことを知った。数日前に通った幣舞橋がひび割れている映像を見て、非常にショックを受けた。あと1〜2日、日程がずれていたら地震に巻き込まれていたというだけでなく、喫茶ローゼやなべさん、旅で出会った道東の人々のことを思うと心が痛んだ(丁度、太平洋側海岸で釣りをしていたY田さんも、この地震に巻き込まれたらしい)。

 この素晴らしい旅の中でかかわった全ての人に感謝するとともに、十勝沖地震で被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。








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