旅日記北海道編2006 @ 復興 (4)第3日目@ 傷痕 気持ちのいい朝だ。窓を開けると、ウニ漁だろうか、目の前の海に小船に乗った漁師の姿が見える。
身支度を済ませ、おかみさんに代金を払おうとすると、「今年はウニが不漁だから。」と宿代をまけてくれ、ワカメのお土産までくれた。食事も美味しく、居心地のいい素晴らしい宿だった。
今日は、時計回りに島を周ってみようと思う。
山側に目を向けると、陸に打ち上げられた船の残骸らしき物が放置されていた。震災の時の大津波によるものだろうか。10年以上経っても、震災の爪痕は確実に残されていた。 さらに南へ向かう。奥尻島南端の「青苗地区」は、北海道南西沖地震の際、最も被害の大きかった地区だという。
俺は奥尻最南端の岬、「青苗岬」に到着した。吹き抜ける海風が心地良かった。
俺は、「奥尻島津波館」に入ることにした。「民宿いしおか」のおかみさんも、「津波館だけは是非行ってください。」と言っていた。朝早いので、開館しているか心配だったが、午前9時からやっているらしい。開館直後で、流石に他の客はいないようだ。 ここ、「奥尻島津波館」は、北海道南西沖地震の災害とその教訓、奥尻島の歴史等も展示されている。
震災の死者・行方不明者198名の鎮魂のモニュメント「198のひかり」や震災時の写真パネル等を順番に見ていく。震災の被害は、俺が伝え聞いていたよりも壮絶で、悲惨なものであったことがひしひしと伝わってくる。所々にある、奥尻の小学生が書いた作文や詩に目頭が熱くなった。 平成5年7月12日22時17分、北海道南西沖を震源とする「北海道南西沖地震」が発生した。震源の深さは34km、マグニチュード7.8。奥尻地区の観音山大崩壊では、麓のホテル洋々荘やレストラン、灯油備蓄タンク等を飲み込んだ。あの大壁画「サムーン」のあった場所だ。奥尻入港の際、何となく眺めていたあの壁画のある場所で、それ程悲惨な被害があったとは。 震源に一番近い稲穂地区では、地震発生後2、3分後に津波の第一波が押し寄せた。稲穂地区は、昨日行った賽の河原のある場所だ。津波の最高到達高は、西海岸で29mに達したという。30メートル近い津波なんて、普通では想像できないだろう。
ここ、青苗地区では、船舶及び建物火災が発生し、翌朝まで延焼し続けた。津波と火災により、青苗は一夜にして壊滅状態となったのだ。 4000名程の島民のうち、198名が亡くなるということ、住宅の3分の1が失われるということ、漁業や観光業といった島の基幹産業が失われるということ…。俺は、「北海道南西沖地震」が奥尻に与えた影響の大きさに打ちのめされた思いだった。一見、何事もないかのように平穏なこの島には、今でもいたる所に、そして島民の心の中に、多くの傷痕が残っているのだ。 震災には、多くの義援金やボランティアといった復興支援が寄せられ、奥尻島は平成10年に完全復興宣言を出した。津波館の展示には、そういった全国からの復興支援への感謝の気持ちも感じられた。
現在の奥尻島は、震災の教訓を活かした防災対策が世界中から注目されているらしい。高台へ続く避難路と誘導灯、数百人が一度に避難できる人口の空中広場、遠隔操作できる水門、長大な防潮堤といったものだ。また、そういったハード面だけでなく、島民個人の危機管理意識も非常に高いのだろう。 おねえさんの案内が終わり、最後に地下の映像ホールに入った。ここでは、3D眼鏡をかけて映像作品を見ることができる。「災害の記録」と「海の記憶」という二作品はなかなか迫力があった。何より、一人きりの広い映像ホールは、寂しさを通り越して何か薄ら寒く感じた。 津波館を後にし、再び時空翔の前に立った。吹き抜ける海風と美しい海辺の風景は何も変わっていない。しかし俺は、先程感じた心地良さとは別の、重苦しさを胸に感じていた。
俺は一人、時空翔に向け合掌した。 再び原付に跨り、島の西海岸を、北に向かって走り出す。何と、田園風景が広がっていて驚いた。奥尻では、北海道の離島で唯一、米を作っているのだ。この小さな島は、実に様々な表情を見せてくれて面白い。 奥尻の西海岸は、奇岩が立ち並ぶ独特の景観が楽しめる。無縁島やホヤ岩、モッ立岩といった奇岩を眺めながらのんびりと原付を走らせた。
「彫刻公園 北追岬」は、昨日訪れた神威脇温泉の少し南に位置する。
原付で迷路のような小道を行けば、8つのモニュメントが点在していた。これらは、彫刻家の流政之氏の作品だそうだ。望郷の思いを表した「北追岬」や、「よくきたさ」等、それぞれのテーマを想像しながらモニュメントを巡るのはなかなか面白かった。この公園はキャンプ場になっているらしい。時間が許せば、こんな場所でキャンプできたら楽しいだろう。
海岸を北上し、昨日も通った幌内地区に差し掛かった時、奇妙な光景を認めて原付を停めた。何かのポンプだろうか。バイクを降りて、近付くとそれは温泉を汲み上げるポンプだとわかった。 ここは、津波に飲み込まれ、消失した幌内温泉跡だった。朽ち果てたポンプからは、湯が滴っている。触れると温かく、まだ温泉自体は失われていないのだとわかった。 周囲は遮る物の何も無い海岸だ。大津波が来たらひとたまりもないのだろう。この幌内温泉が廃墟のままなのは、そういった地形上の問題からだろうか。 何事もなかったかのように癒えつつある傷痕もあれば、ここ幌内のように剥き出しのまま癒えていない傷痕もある。 ポンプの下に手向けられた花束が物悲しかった。
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