旅日記北海道編2006 @ 復興 (3)第2日目A イクシュンシリ(向こうの島) 船は静かに動き始めた。空はやや曇ってきている。俺は甲板で遠ざかる江差の街並を眺めていたが、少し冷えてきたので船内に入ることにした。 フェリーはそれほど混み合っておらず、俺は楽に自分のスペースを確保することができた。利尻や礼文行きの船と違い、やや小さ目な船のせいか、けっこう揺れを感じる。歩くとふらつく位である。船に弱い人は少し辛いかもしれない。 特にすることもなく、俺は船内を散策したり、本を読んだりして過ごした。少しばかり奥尻について予習する。
奥尻島。北海道南西、江差から日本海上61Kmに位置する周囲84Kmの離島である。 平成5年7月12日、マグニチュード7・8にも及ぶ「北海道南西沖地震」が発生した。地震及び津波、そして、直後に発生した火災により全島にわたって壊滅的な被害を被ったが、全国的な支援と島民の努力により、平成10年3月に完全復興宣言した。思えば地震発生時、俺はまだ10代だった。
そうしているうちに、向こうに島影が見えてきた。近付くにつれて、巨大な壁画がはっきり見えてくる。山肌に描かれた大きな壁画「サムーン」は震災からの復興を願ったものだそうだ。
フェリーが接岸した。向こうに見えるのは、奥尻のシンボル「鍋釣岩(なべつるいわ)」だ。いよいよ奥尻に上陸である。利尻や礼文のような派手な歓迎等はなく、皆淡々と上陸していく。今の時期は本当に観光客が少ないようだ。
さて、レンタルバイクを借りなければ。小林レンタカーに電話するが、また繋がらなかったため、俺は徒歩で向かうことにした。もともと徒歩で行ける距離である。 今回の旅の相棒は、少し錆付いたホンダのDio。小さな島だから、小回りの利く原付が力を発揮してくれるだろう。 さて、まず最初に奥尻のシンボル「鍋釣岩」に行ってみよう。海風を全身に受けながら、俺は原付を走らせた。 鍋釣岩はフェリー乗り場からも近く、波の浸食で巨大なリング状になった奇岩である。なるほど、鍋のツルの形と言われればそうかもしれない。岩の上部にピンポイントで植物が生え、海鳥が遊んでいる姿が愛らしい。ちなみに、鍋釣岩の上の植物は、ヒロハノヘビノボラズという枝葉に棘のある植物だという。震災で岩の上部が少し欠けたそうだが、ほぼ原型を残すことができたのは本当に幸運だったと思う。
さて、今日の宿に向かうとしよう。今夜の宿は、友人が「食事が美味しい」と紹介してくれた宿、「民宿 いしおか」である。いしおかは、鍋釣岩からも近い、奥尻地区の海岸沿いに建っている。
まだ日は高い。時間の許す限り、島を観光しよう。俺は原付に乗り、島の北を目指した。 海沿いを北へ、北へ向かう。海沿いを走るのは気持ちいい。小高い岩山の上に見える赤い屋根は宮津弁天だ。 原付の旅最初の目的地は、島の最北・稲穂地区にある「賽の河原(さいのかわら)」。寂しい風景が好きな俺が、ずっと行きたかった場所だ。
次第に風景が寂しくなり、目的地が近いことを予感させる。無骨な岩や、石ころの積まれた風景。古びた石碑と、朽ち果てたような「霊場 賽の河原」と書かれた木の看板があった。
売店やキャンプ場も整備されているようだ。霊場でキャンプするのは、寂しすぎる気がするが。小腹が空いてきたので、とりあえず売店前に原付を停めると、外で作業していたおばちゃんが入ってきた。迷わずウニ丼を注文する。 賽の河原は道南5霊場のひとつ。海難犠牲者や幼少死亡者の慰霊の地だ。「カアカア。」とカラスが宙を舞っている。地蔵が立ち並び、石を積み重ねた塚が立ち並ぶ風景は、まさに賽の河原。「ひとつ積んでは父のため…」と、歌が聞こえそうである。俺はこの世の果てのような風景に圧倒された。
震災の時、この稲穂地区は真っ先に津波に襲われたそうだ。それ程高い石の塚がないのはその所為か。俺は慰霊碑に手を合わせ、賽の河原を後にした。 原付に乗り込み、島を逆時計回りに回る。海沿いのアスファルトには、カラスが食べたのかムラサキウニの殻が散乱していた。礼文と同様、奥尻のカラスも相当贅沢者のようだ。 森に入ると、道が狭くなってきた。予想通りアスファルトが途切れ、ダートが眼前に広がった。原付でダートは正直厳しい。一瞬躊躇したが、そのまま直進することにした。砂埃を上げ、車体をガタガタと揺らしながら、慎重に進む。道の両側は新緑のアーチのようで美しい。木漏れ日の中で耳を澄ますと、鶯の鳴き声が聞こえた。
視界が開けてきた。横に広がるのは牧草地だ。奥尻は、離島とは思えないほど様々な表情を見せてくれる。
次の目的地は「球島山(きゅうじまやま)展望台」だ。球島山は、奥尻で三番目の標高の山だ。頂上付近まで車や原付で行くことができ、なかなかお手軽だ。
!!!
正直、奥尻でこんな絶景が見られるとは思っていなかった。360度とまではいかないが、島のほとんどが見渡すことができる。特に島の北東部・稲穂地区の海岸線、牧草地帯、奥尻地区周辺が良く見えた。鍋釣岩も小さく見える。
日がだいぶ落ちてきている。風が冷たい。俺は原付を停め、持参した雨合羽を羽織った。指先が芯から冷えて、感覚が鈍っている。手袋を持ってこなかったことが悔やまれた。
夕日と競争するように、島の北西・幌内海岸から南へ走る。冷たい海風が身体を凍えさせた。トンネルをいくつも通り、奇岩が立ち並ぶこの道は、積丹半島の海岸線と雰囲気が似ている気がする。 周囲はだいぶ暗くなっていたが、俺はようやくぽつんと建った「神威脇温泉保養所」を見つけた。
古びた建物だ。値段は420円と非常に良心的である。1階、2階にそれぞれ浴場があり、1階は源泉そのまま、2階には塩素が入っているらしい。俺はまず1階の浴場に入った。小さな湯船ながら、黄色く濁った塩化物泉がかけ流しにされている。 続いて2階の展望浴場に向かう。大きな窓からは、丁度、沈み行く太陽を眺めることができた。幸い他の客もいない。俺は暮れ行く海や灯台を眺めながら、広い湯船を独占した。 すっかり日が暮れてしまった。そろそろ宿に戻るとしよう。原付を北に向け走らせる。先程通った「復興の森」の道を抜け、球浦開拓の分岐点で奥尻地区に直行する道を行くつもりである。 対向車は全くない。すっかり暗くなった峠道を原付で行くのはとても心細かった。だが、温泉に入った所為か身体がポカポカし、寒さはそれ程気にならなかった。
しばらく走ると、対向車のヘッドライトが見えた。近付いてきたその車は、俺の姿を認めると停車した。島の職員さんのようだ。
確かに、夜間通行止めの表示を見たような気がする。だが、午後7時で閉鎖とは思ってもみなかった。今から引き返して、南側から奥尻地区に戻るとすると、数十キロ走らなければならない。
ありがたい。俺はほっと胸を撫で下ろした。原付で先に進むと、確かにゲートが閉鎖されている。職員さんは、言葉通り数分で戻ってきて、ゲートを開放してくれた。 奥尻港の目の前に出た。宿に帰る前に、折角なのでライトアップされた鍋釣岩と、うにまるモニュメントに寄り道することにする。濃紺の海に白く浮かび上がった鍋釣岩は幻想的でなかなかいい。
「民宿 いしおか」に到着した。早速夕食をいただくことにする。食堂には、テーブル一杯にご馳走が広がっていた。
「足りなかったらカレーも作ってあるので食べてください。」おかみさんが声を掛けてくれたが、とてもじゃないがカレーまで食べられない。 お茶を飲みながら寛いでいると、チャイムが鳴って放送が入った。島内での看護師の募集といった内容だ。島民へのお知らせ等、時々放送が入るようだ。こういった何でもないことが、未知の土地を旅していることを実感させてくれる。
宿の風呂に入り、温まり直した。安ワインを開け、奥尻の夜に乾杯する。布団に入ると、波の音が心地いいBGMとなり、俺の瞼はすぐに重くなった。
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