旅日記北海道編2006 @ 復興 (2)第2日目@ いにしえの街並 翌朝。早々とホテルをチェックアウトした俺は、朝市へ向かった。ホテルの朝食を、朝市の食堂に変更するプランを利用したためだ。いくつかの食堂を利用できるようだったが、俺は有名店の「すずや食堂」に入ることにした。
午前7時10分、駅前から江差行きのバスに乗った。奥尻島に行くには、江差か瀬棚にあるフェリーターミナルからフェリーに乗るのが一般的である。もちろん、函館空港から飛行機で行く手もあるのだが、当然航空機代は高い。
地元の学生達に混じって、俺はバスに揺られた。ソフトカツゲンを飲みながら、ぼんやりと車窓からの風景を眺める。バスは、各停留所毎にきちんと寄って行く。しばらくして俺は気が付いた。このバスは長距離バスか何かで、函館市内を出たら、江差へ向けて真っ直ぐ向かって行くのかと思っていた。しかし、いつまで経っても各停留所毎に丁寧に寄り、走っていく。これでは時間がかかるわけだ。
さて、奥尻行きのフェリーは、朝の便の他、午後1時の1日2本しかない。俺はまず、フェリーターミナルに行き、奥尻での移動手段を確保することにした。
「すみません。レンタルバイクやっていますか?」 フェリーの時間まではまだ余裕がある。江差は、今まで立ち寄る機会のない街だったので、この際、ゆっくり観光しよう。
俺はまず、「かもめ島」に向かった。 かもめ島に向かう途中、巨大な黒い船が目に入った。あれが有名な「開陽丸」か。
徳川幕府の軍艦・開陽丸は、戊辰戦争に出帆し、榎本武揚率いる脱走艦隊の旗艦であったが、嵐のため江差沖で沈没した。ここ、開陽丸青少年センターには、原寸大に復元された開陽丸が展示されている。同センターは有料であるため、俺は記念撮影だけさせてもらった。
改めて、かもめ島に向かう。左手に小さな洞窟らしきものがあった。好奇心を刺激されて、その洞窟を通り抜けてみると、小さな入り江が広がっていた。静かだ。シーズンオフだからか、人っ子一人いない。
右手に瓶子岩を眺めながら、島を一周することにする。売店も閉まっており、とても静かだ。瓶子岩には、30メートルにも及ぶしめ縄が締められている。
岩場の階段を上り、島に上陸する。今でこそ、防波堤や橋で島に渡ることができるが、昔は船で上陸していたらしい。 吹き抜ける海風が心地いい。厳島神社や灯台を眺め、島の南側に向かう。ここには、弁慶の足跡といわれる岩、馬岩という源義経の愛馬にまつわる岩がある。北海道には、驚くほど義経の伝説が残っているのだ。
島をほぼ一周すると、額にうっすらと汗がにじんだ。丁度良い運動になった。
それでもまだ、フェリーの時間に余裕があるので、俺は江差の街を散策することにした。
俺は、「にしんそば」の看板に引かれて足を止めた。どっしりとした佇まいの日本家屋「横山家」だ。横山家は天明のころからの旧家で、この建物は160年程前に建てられ、文化財にも指定されている。 小腹が空いたので、ここでにしんそばを食べることにした。仏間のような居間のような、歴史を感じる広間に通される。団体客の予約が入っているのかテーブルに沢山のお膳がセットされていたが、今のところ客は俺一人である。にしんそばが運ばれてきた。大きなにしんの甘露煮と海苔が沢山乗っている。にしんは、江差では「鯡」の文字で読んでいたそうだ。松前藩では、ニシンによって生活が成り立っていたので、「にしんは魚に非ず、米である」という考えがあった。それほど、松前藩にとって、にしんは重要な収入源だったのだ。勢いよく平らげたにしんそばは、にしんの甘さと、そばつゆが良く合いとても美味かった。
フェリー乗り場に戻ると、売店も開き、さっきとは打って変わって賑わっている。フェリーに乗り込み、先程歩いた鴎島にカメラを向けた。エンジン音が響くと共に、俺の鼓動も高鳴った。 いよいよ奥尻島へ出発である。
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