旅日記北海道編2006 @  復興 (2)





第2日目@  いにしえの街並




朝。早々とホテルをチェックアウトした俺は、朝市へ向かった。ホテルの朝食を、朝市の食堂に変更するプランを利用したためだ。いくつかの食堂を利用できるようだったが、俺は有名店の「すずや食堂」に入ることにした。
 看板娘らしい綺麗なおねえさんに案内してもらい、メニューを選ぶ。今朝は、ウニ、イクラ、カニ、イカ、甘エビの乗った、五色丼にした。当然のことながら、どの具も新鮮で美味い。岩海苔の味噌汁も俺好みだった。朝から満腹だ。

 すずや食堂 五色丼

 午前7時10分、駅前から江差行きのバスに乗った。奥尻島に行くには、江差か瀬棚にあるフェリーターミナルからフェリーに乗るのが一般的である。もちろん、函館空港から飛行機で行く手もあるのだが、当然航空機代は高い。
 函館から江差へは、JRかバスで行くことができるが、どちらを使っても二時間程度かかり、あまり接続が良いとはいえない。JRの場合、江差線は各駅停車で時間がかかり、さらに駅からフェリーターミナルまでかなり歩くと聞いて、俺はバスにすることにしたのだ。

 地元の学生達に混じって、俺はバスに揺られた。ソフトカツゲンを飲みながら、ぼんやりと車窓からの風景を眺める。バスは、各停留所毎にきちんと寄って行く。しばらくして俺は気が付いた。このバスは長距離バスか何かで、函館市内を出たら、江差へ向けて真っ直ぐ向かって行くのかと思っていた。しかし、いつまで経っても各停留所毎に丁寧に寄り、走っていく。これでは時間がかかるわけだ。
 だが、地方の小都市に向かう交通手段なんてそんなものかも知れない。結局、バスは最後まで各停留所毎に寄って行き、二時間半近くかけてフェリーターミナル前に到着した。

 さて、奥尻行きのフェリーは、朝の便の他、午後1時の1日2本しかない。俺はまず、フェリーターミナルに行き、奥尻での移動手段を確保することにした。
 案内所に記載された電話番号で、レンタルバイクをやっている店を探す。一軒目は、「すみません。今はやってないんですよ。」という返答だった。しかし、そこで島で唯一「小林レンタカー」が2台だけレンタルバイクを所有していると教えてくれた。
 小林レンタカーは、宿とレンタカーの両方をやっているらしい。俺はすぐに電話した。のんびりした店らしく、数回掛け直してようやく繋がった。店主らしい、おっちゃんが電話に出た。

 「すみません。レンタルバイクやっていますか?」
 「やってるよ。だけど、新しい方のバイクは、この前どっかいっちまったからな。ボロい方ならあるが…。」
 「えっ!それって動くんですか?」
 「動くよ。多分…。」
 「えっ!?」
 そんなやりとりで、少々不安だが、俺はレンタルバイクを借りることにした。
 「24時間借りることってできます?」
 「できるよ。5,000円だ。」
 まぁ、離島料金ならそんなものだ。レンタカーならもっとかかる。
 「高いか?」
 「い、いや。そんなことないです。」
 こうして俺は、島唯一のレンタルバイクを確保することができた。

 フェリーの時間まではまだ余裕がある。江差は、今まで立ち寄る機会のない街だったので、この際、ゆっくり観光しよう。

 俺はまず、「かもめ島」に向かった。
 かもめ島は、かつては弁天島と呼ばれていた、海抜20メートル、周囲2・6kmの小島である。上空から見ると、かもめが翼を広げた形に見えることから、かもめ島と呼ばれるようになったといわれている。

 かもめ島に向かう途中、巨大な黒い船が目に入った。あれが有名な「開陽丸」か。

 開陽丸 記念撮影

 徳川幕府の軍艦・開陽丸は、戊辰戦争に出帆し、榎本武揚率いる脱走艦隊の旗艦であったが、嵐のため江差沖で沈没した。ここ、開陽丸青少年センターには、原寸大に復元された開陽丸が展示されている。同センターは有料であるため、俺は記念撮影だけさせてもらった。

 かもめ島の洞窟 かもめ島の入江

 改めて、かもめ島に向かう。左手に小さな洞窟らしきものがあった。好奇心を刺激されて、その洞窟を通り抜けてみると、小さな入り江が広がっていた。静かだ。シーズンオフだからか、人っ子一人いない。

 瓶子岩 かもめ島の風景

 右手に瓶子岩を眺めながら、島を一周することにする。売店も閉まっており、とても静かだ。瓶子岩には、30メートルにも及ぶしめ縄が締められている。
 長い橋を渡ると、防波堤に沢山の釣り人がいた。この島は有名な釣りスポットだという。釣り人に声を掛けると、今の時期はホッケやカレイが釣れるらしい。

 岩場の階段を上り、島に上陸する。今でこそ、防波堤や橋で島に渡ることができるが、昔は船で上陸していたらしい。
 見渡すと、かもめ島は意外に広い。天気もいいし、一面広がった草原が気持ちを穏やかにしてくれる。島の東崖から下を見下ろすと、「千畳敷」という波の力による浸蝕の跡を見ることができる。驚くほど広大な岩場である。

 吹き抜ける海風が心地いい。厳島神社や灯台を眺め、島の南側に向かう。ここには、弁慶の足跡といわれる岩、馬岩という源義経の愛馬にまつわる岩がある。北海道には、驚くほど義経の伝説が残っているのだ。

 千畳敷 弁慶の足跡

 島をほぼ一周すると、額にうっすらと汗がにじんだ。丁度良い運動になった。

 それでもまだ、フェリーの時間に余裕があるので、俺は江差の街を散策することにした。
 江差では、平成元年から「歴史を生かすまちづくり事業」を始め、平成16年に街並が「いにしえ街道」として街路事業が完成したという。
 俺はそのいにしえ街道を歩いてみた。道幅が広く、とても綺麗だ。俺は歩きながら何か違和感を感じた。空が広い。そうだ、電柱と電線がない。電線を地中に入れ、景観に配慮しているのだ。古さと新しさの混在した面白い街並だと思う。

 江差のいにしえ街道 横山家

 俺は、「にしんそば」の看板に引かれて足を止めた。どっしりとした佇まいの日本家屋「横山家」だ。横山家は天明のころからの旧家で、この建物は160年程前に建てられ、文化財にも指定されている。

 小腹が空いたので、ここでにしんそばを食べることにした。仏間のような居間のような、歴史を感じる広間に通される。団体客の予約が入っているのかテーブルに沢山のお膳がセットされていたが、今のところ客は俺一人である。にしんそばが運ばれてきた。大きなにしんの甘露煮と海苔が沢山乗っている。にしんは、江差では「鯡」の文字で読んでいたそうだ。松前藩では、ニシンによって生活が成り立っていたので、「にしんは魚に非ず、米である」という考えがあった。それほど、松前藩にとって、にしんは重要な収入源だったのだ。勢いよく平らげたにしんそばは、にしんの甘さと、そばつゆが良く合いとても美味かった。

 横山家の広間 にしんそば

 フェリー乗り場に戻ると、売店も開き、さっきとは打って変わって賑わっている。フェリーに乗り込み、先程歩いた鴎島にカメラを向けた。エンジン音が響くと共に、俺の鼓動も高鳴った。

 いよいよ奥尻島へ出発である。

 フェリーからの風景1 フェリーからの風景2





to be continued…


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