旅日記北海道編2002 友情(4)

 HP「塀の中の懲りない面々」に連載中


知床半島3 瀬石,相泊

瀬石温泉

 羅臼町から海岸沿いの一本道を北東へ進むと,二つの温泉がある。
 知床の野趣あふれる露天風呂の中でも,特に知られている瀬石(せせき)温泉と相泊(あいどまり)温泉である。
 羅臼から北東というと他に見所が何もないため,道路は非常に空いていた。
 約20キロほど車を走らせると瀬石温泉に到着した。瀬石温泉は,海の傍というよりは海の中にあるワイルドな温泉だ。ここは最近,「北の国から2002 遺言」で,純が入ったことで話題になった場所である。
 瀬石温泉は,丁度潮が満ち始めたころであろうか,湯舟を囲う岩だけが海から出ている状態であった。
 これで本当に入れるのだろうか?確かここは私有地であるため,管理人に断ってからでないと入浴できないと聞いている。しかし周囲の小屋を見てもそれらしい人はいない。これはどういうことだろうか?周りにいる観光客も,湯舟の方を見ているだけで入る者はいなかった。
 以前読んだガイドブックに,入浴は8月末までと書いてあったのを思い出した。
 9月に入って入浴できなくなったのかもしれない。俺は後ろ髪引かれつつも,一旦瀬石を離れ,相泊温泉に向かうことにした。

相泊温泉

 相泊温泉は瀬石からさらに北東へ行ったところにある。車で行けるぎりぎりの場所で,まさに地の果ての温泉である。確か,この温泉は簡素な小屋の中にあり,男女別の湯舟があるはずだが。それらしい小屋はどこにも見当たらない。だがよく探してみると,石に埋もれたような,二つの湯舟からなる温泉が見つかった。確かにここは相泊温泉のようだが,小屋はどうしたのだろうか?
 まあいい。俺は細かい事は気にせず,全裸になって温泉に入ることにした。…いい湯加減だ。岩やテトラポット越しに海が広がっており,素晴らしい眺めである。湯舟の中は石がゴロゴロとしており,なかなかワイルドだ。
 「湯加減はいかがですか?」俺がいい気分で湯に浸かっていると,ライダーが二人近づいてきた。話を聞いてみると,やはり小屋が無かったため,入浴するのに躊躇したらしい。「おかしいですよね。前はあったのに。」すると,今度は若い女性の旅行者がこちらに近づいてきた。
 「すみません。相泊の温泉ってどこですか?」「ここです。」
 男女別になった温泉だと聞いて訪れたのだろう。さすがに混浴には抵抗があるらしく,女性は残念そうに去っていった。俺も残念だ…。

   テトラポットの向こうは海        石がごろごろ

 相泊温泉を出た俺は,近くの飲食店に立ち寄った。土産物を買うついでに瀬石と相泊についての情報収集をしようと思ったのだ。この店はトド肉を食べさせることで有名らしい。トドの缶詰を買いながら,店の親爺に二つの温泉について尋ねてみた。
 「ああ。瀬石は管理人いなくなっちゃったんだ。」親爺はなかなか饒舌である。「じゃあ,今は温泉に入れないんですか?」俺が慌てて聞くと,「いいよ。入っちゃえ,入っちゃえ!」親爺は軽いノリで言った。どうして今,管理人がいないかを尋ねることはできなかった(別に失踪したわけではないらしい)。
 「相泊の小屋はね,嵐で飛んでっちゃったんだよ。」仰天した俺に親爺は続けた。「今年で三つ目。三つ飛ばされたからもう予算がなくてね。新しい小屋作ってもらえないんだ。」すごい話である。(後に調べてわかったが,例年9月ころには小屋は撤去されるらしい)

 俺は瀬石に戻ることにした。入れるんだったら是非入っておきたい温泉である。瀬石は満潮になると海に沈んでしまう。日はだいぶ西に傾いているが,大丈夫だろうか?
 ……。微妙な潮の具合だ。かなり潮は満ちていて,足を濡らさないと湯舟まで行けそうもない。だがそれぐらいで諦める俺ではない。俺はジーンズの裾をまくり,ザブザブと海に入っていった。思ったより深い。ジーンズをだいぶ濡らしてしまいながら,俺はなんとか温泉を囲む岩場に辿り着いた。
 さあ,入るぞ。「北の国から」で,純が入っていた右の湯舟は海水が入りすぎていた。冷たくて入れなかったため,俺は海岸から見て左側の湯舟に入ることにした。服を岩場に脱ぎ捨て,湯に浸かる。潮が満ちて海水が混じったせいか湯は少しぬるめだが,岩の所々から熱い湯が湧き出ていた。確か,「セセキ」とは,アイヌ語で「熱い」という意味だったはずだ。時間によっては熱くて入れないこともあるだろう。目の前に広がっているのは,ただ海。自分の浸かっている温泉と海を隔てているのは数十センチ程度の岩だけだ。岩の上に脱ぎ捨てたジャンパーに波しぶきがかかった。ワイルドさならカムイワッカにも負けていない。
   ワイルドな温泉        知床の海が広がる

 どれくらい湯に浸かっていただろう。海岸の方を見ると十数人程の観光客がこっちを見ている。ここはいい温泉だが,入る時と出る時がちょっと恥ずかしいな。だが,あまりゆっくりしていると潮が満ちて本当に帰れなくなる。俺は観光客の人数が減ったのを見計らって,慌てて服を着た。

 車に乗り込むと,周囲は既に暗くなりかけていた。今日は三つも温泉に入ったためさすがに疲労感がある。今夜はどこに泊まろうか。そんなことを考えながら車を運転していると,突然携帯が鳴った。
 「おえ〜!生きてっか〜?」 オンネトーで別れた,なべさんからである。


別海

キャンプ場にて
 「おえ〜。今,大丈夫か?」なべさんからの電話であった。「今,M下さんといっしょなんだ〜。」M下さんはなべさんと同じく,養成所時代の同期で,現在は千歳で勤務している。臨床心理士の資格も持っており,同期の中ではご意見番的な存在だ。二人は今朝から雌阿寒岳を登山し,これからキャンプ地に向かうという。「今夜,いっしょにキャンプすっか〜?おえ〜!」
 「ありがてぇっ!すぐ行きますよ。」俺は即答した。「どこでするんですか?」
 「別海だぞ。おえ〜!」
 ああ,別海ね。別海!?今,走っている知床からは少し距離があった。まず中標津まで出て,道道8号を走り,別海市街まで出る。そこからさらに国道243号を行く。休まず走って2時間ちょっとか。北海道の夜道は街頭がほとんどなく,街の灯りも遠いのでヘッドライトだけが頼りだ。暗く長い道を延々と走っていると眠気をもよおしてくる。頬をつねったり,大声で歌を歌ったりして睡魔と闘いながら,ひたすらキャンプ場を目指した。

 俺が別海の「効楽苑キャンプ場」に到着したのは午後8時過ぎだった。駐車場には見覚えのある四駆が二台,仲良く並んでいた。「待ってたぞ。おえ〜!」なべさんが顔を出した。「久し振りだぞ。おえ〜!」M下さんもなべさんの口調を真似しながら登場する。「おえ,おえ〜!」俺達の挨拶はそれで十分だ。なべさん達は既にテントを張り,夕食の準備を始めていてくれた。メニューは寒い北海道の夜に相応しい鱈のたち鍋,そして焼ホッケである。俺は持参した飯ごうで飯を炊くことにした。
 まだ午後8時過ぎだというのに,他のキャンパーは寝静まっているのか物音一つしなかった。9月中旬の北海道は,夜になればかなり冷え込む。俺達は火を囲みながら久し振りの再会に乾杯した。セイコーマートの安ワインが疲れきった身体に染み込む。鱈のたち鍋はクリーミーで濃厚な味わいが絶品である。身の厚い焼ホッケも実に美味い。こうして酒を酌み交わしていると,共に看護を学んだあのころを思い出す。毎日のよう安い宴を繰り広げたあのころを。
 「アホ面さげてぇ〜アっホみたく〜♪」陽気に歌うなべさんに「ウンジャラゲ」の振り付けで合わせるM下さん。今は遠く離れてしまった仲間達だが,あのころと少しも変わっていない。見上げると満天の星空だ。俺達は,来年もこの星空を見上げて語り合うことができるだろうか。俺達は凍える手を七輪の火で暖めながら深夜まで語り合った。
 宴の後はいつも寂しさが残る。焦げ付いた鍋を洗いながら,俺はこの旅に終わりが近いことを感じていた。

   たち鍋        寒い中での宴
 今夜はなべさんのテントで寝させてもらうことになった。寒いため革ジャンを羽織ったままシュラフに潜り込む。地面の硬さも冷たさも,疲れた身体には全く苦にならない。俺の瞼はあっという間に重くなっていった。

 翌朝,水耕栽培のプチトマトをつまみながら,俺達は身支度を始めた。M下さんは霧多布岬の温泉に寄ってから千歳に帰るという。「私は来る途中,スピード違反で捕まっちゃったんです。気を付けて下さい。」持参したサックスを仕舞いながらM下さんが言った。「釧路に先に帰ってるからよ〜。また連絡してくれ。」なべさんは真っ直ぐ釧路に帰るという。
 別れは確かに寂しいが,これは永遠のものではない。さよならは敢えて言わなかった。「ありがとう。いつかまた…。」俺達は軽く手を振り,それぞれの方向へ車を走らせて行った。


野付半島

 一人になった俺は真っ直ぐに野付半島へ向かった。野付半島は知床半島と根室半島の間にある半島で,全長28kmの長大な砂嘴。よく「海老が背を曲げたような」と表現されるように奇妙な形をしている。私はこの先端にある「トドワラ」という場所がとても好きなのだ。
 野付半島にはフラワーロードという一本の道が通っているだけである。信号もない。両側が海に挟まれた真っ直ぐな道がトドワラまで続くのだ。「両側が海」という道は日本では珍しいのではなだろうか。この道を走るのはいつも気持ちいい。

 しばらく走っていると右側に立ち枯れた林の姿が見えてくる。ここは「ナラワラ」という場所である。ナラワラとは,海水の浸食や潮風により立ち枯れたミズナラの林のことだ。ここは遊歩道等が整備されておらず,駐車場から眺めるしかない。今回,初めて駐車場を降り,少しだけでもナラワラに近づいてみようとしたが,やはり足がずぶずぶと泥に沈んでしまいあまり近づけなかった。これ以上の散策は危険なようだ。

   駐車場から見たナラワラ。下が湿地なのであまり近づけない        近くの倉庫がある空き地から見たナラワラ。駐車場よりは近くから見える。

 俺はさらに車を走らせ,野付半島の先端近く,トドワラに到着した。ナラワラがミズナラの立ち枯れた林なら,トドワラはトドマツが海水や潮風の影響で立ち枯れた林のことである。
 以前立ち寄ったレストハウスはリニューアルされ,「野付半島ネイチャーセンター」という二階建ての立派な建物になっていた。一階部分は売店とレストラン,2階部分は野付半島の自然と歴史を紹介するギャラリーになっている。レストランで海鮮丼を食べ,二階で野付の歴史を一通り見たらいよいよトドワラの散策である。
 トドワラまで遊歩道で20分程。片道500円で馬車に乗ることもできるが,俺はこの場所では敢えて孤独感をかみしめたいのだ。当然徒歩を選んだ。幸いなことに観光客も少ない。季節によっては花が咲き乱れる遊歩道であるが,九月という時節柄ほとんどの花は枯れてしまっていた。そのことがより一層寂しさを増す。

   トドマツの倒木        トドワラの典型的な風景

 トドワラに到着した。一周15分の木製の散策路を一人で歩く。俺はなぜかこの場所が気に入っており,つい何度も訪れてしまうのだ。立ち並ぶ風化したトドマツはさながら白骨のようで,独特の寂寥感を感じさせる。しかし,トドワラの風化は年々進み,多くの木は崩れて原型をとどめていない。この風景が見られるのはあと何年位だろうか。

   まだ生きている松もある        寂寥感

 俺はふと足下に目をやった。塩分を含む湿地帯に生えるアッケシソウが生え,そして小さな野花が咲いている。失われる命があれば新たに生まれた命もあるのだ。
 俺は何故自分がこの場所に魅かれるのかわかった気がした。「生」と「死」。自然の儚さを最も感じさせてくれる場所だからこそ,俺は何度もここに足を運んでしまうのかもしれない。トドマツの林はいずれ跡形もなく消え去るのだろうが,やがてそれに代わって新たな生命が芽吹くだろう。

   足下にアッケシソウ(サンゴソウ)が        花も咲く

 好きな風景が変わっていくのは確かに寂しい。しかし,それは人間の視点であって,大自然の中では当たり前のサイクルなのだ。
 またこの場所に帰ってくるよ。そして変わっていく風景を見届けよう。俺は心に誓いながらトドワラを後にした。


to be continued…


次へ     戻る



[HOME]     [1]     [2]     [3]     [4]     [5]



inserted by FC2 system