旅日記北海道編2002 友情(3)

 HP「塀の中の懲りない面々」に連載中


船長の家


 チミケップ湖を堪能した俺は,いよいよ今晩宿泊するサロマ湖の宿へ向かうことにした。宿の名は,「船長の家」といい,安い宿泊料で大量のカニを食べさせることで知られている。以前から一度は泊まってみたかった宿で,行き当たりばったりの今回の旅で唯一,出発前から予約を入れておいたのだ。日は西に大きく傾き,薄暗くなり始めている。少しゆっくりしすぎたか。確か,夕食が六時半ころだと聞いているので,遅くともそれまでには到着しなければならない。
 チミケップからサロマ湖まではおよそ70キロ。車を飛ばせば一時間程度の距離だが,サロマ湖付近になって道に迷ってしまったこともあり,思ったより時間がかかってしまった。今回のレンタカーにはナビがついているのはいいが,性能が悪すぎて,当てにしているとかなり大回りをさせられることがある。しかも街灯が少ない北海道。目的地付近になっても暗い中で看板を探すのに一苦労である。ようやく到着した「船長の家」は小さな民宿で,目立たない場所にあった。

 宿泊料金は二食付きで五千四百円ほど。一人旅なので相部屋だが,なかなかの安さだ。今回,同室になったのは,仙台から来たという三十代のライダーである斉藤さん,そして神奈川から来た四十代後半のライダーで,ハーレーに乗る安達さんの二人だった。夕食までの間,この二人と今までの旅について語り合った。二人とも北海道の旅についてはベテランらしく,特に斉藤さんは船長の家に通うようになって六年目だという。「毎年,もう二度とカニなんか食いたくないって思うほどカニを食うんだけど,やっぱりまた来てしまうんだ。」斉藤さんは笑いながら話した。仙台人というと,スタンド使いのあの人を連想してしまうが,この人は爽やかな好人物だ。大食漢というところは共通するが。安達さんは安い宿を渡り歩くベテランライダーで,何台もバイクを持っているが,今年はハーレーを選んで旅をしているという。この時期にバイクで一人旅といったら,何か理由ありのようなイメージがあり,なかなか仕事についての話を切り出せなかったが,どうやら二人ともリストラされたわけではないらしい。 カニが満載

 語り合っているうちに,夕食の準備ができたという放送が流れた。待ってました!俺はこの時のために昼飯を抜いているし,10キロ以上も歩いたのだ。俺達は急いで食堂へ向かった。さて,テーブルを見た俺は,思わず絶叫した。「すげぇっ!!」テーブル一面に広がるカニの赤。噂には聞いていたがこれ程とは。まずメインに茹でた毛ガニが一匹とタラバの足が数本,そして焼ガニ,カニ鍋,茶碗蒸し,カニのあんかけ,カニのサラダ風,酢の物,外子。ご飯もカニの身が乗った物と,カニ味噌が乗った物の二種類もある。およそ考えつくあらゆるカニ料理が揃っているのだ。カニ以外でも,焼ホタテ,氷頭ナマス,煮魚,グレープフルーツ等があり,テーブルを埋め尽くしている。どれから食べればいいのだ?相部屋の斉藤さんがビールを奢ってくれた。俺達の旅に乾杯だ。

 皆,無言でカニの身を殻からむしり取っている。カニの身が皿一杯になると一気に食べる。そして,その他の品に箸を伸ばす。そしてまたカニの身をむしる。この繰り返しである。その時,従業員が「ホタテのバター焼で〜す。」と,もう一品持ってきた。おいおい…。まだ来るのかよ。さらに,「ホッキ貝のバター焼です。早めに食べてください。」と続いて持ってきた。テーブルにはもう置くスペースがない。この後も,焼いたツブ貝とカニの鉄砲汁が追加された。カニ鍋があるのに鉄砲汁まで!?嬉しい悲鳴である。斉藤さんがポツリとつぶやいた。「これは食事じゃなくて格闘だな。」…同感だ。

 食事開始から一時間。一人,また一人と他の宿泊客がリタイアしていく。鍋や毛ガニに全く手を付けていない人もいる。俺達同部屋の三人は,無言でカニを食べ続けていたが,とうとう斉藤さんと安達さんの箸が止まった。俺の方も,指先がカニの殻で傷つけられ満身創痍だ。だが,俺は食べねばならない。このカニ達を成仏させるためには,何としても完食するのだ。この広い食堂の中で,箸を動かしているのはとうとう俺だけになった。斉藤さん達は黙って俺の食べる様子を見ている。さあ,これが最後のカニの足だ。食事開始から二時間。ついに俺は完食した。ありがとう,自然の滋味よ。俺の血となり肉となるがいい。三十名ほどの宿泊客の中で,完食したのは結局俺一人であった。

 食事を終えたら今度は風呂である。船長の家は以前は小さな浴室しかなかったのだが,つい二,三週間程前から大きな浴室がオープンしたらしい。しかも温泉だという。増築に増築を重ねたらしく,入り組んだ廊下を進むと,真新しい大浴場があった。大きな木製の湯船に浸かり,一息つく。極楽だ。露天風呂もいいが,こういった清潔な温泉もいいものだ。あれだけの食事が出て,温泉もあって五千円台とは安すぎる。こんなに得した気分になったのは久し振りである。さて,その夜は,同室の人達と旅について語り合う…筈だったのだが,疲れが出てあっさり眠ってしまった。

   船長の家        朝飯もこれだけ出る

 翌朝。斉藤さんいわく,「三宅君,横になって数分で大いびきで寝てしまってたよ。その後すぐに静かになったけど。」ということだ。昨日は非常に内容の濃い一日だったから,自分でも気付かない程疲れていたんだな。ちなみに朝食も,イカソーメンやホタテフライ等があり,ちょっとした昼定食並みだった。船長の家恐るべしだ。

 玄関の前で斉藤さん達と別れた。斉藤さんは根室方面へ,安達さんは稚内方面に向かうという。短い時間の中,俺達は旅によって確かに心を通い合わせた。俺は,もう二度と会うこともない友に別れを告げた。
 「良い旅を!」
 そして,俺達はそれぞれの方向へ走り出した。


知床半東1 カムイワッカ 湯の滝


川の中をゆく

 サロマ湖を後にした俺は,東へと車を走らせた。行き先は知床半島。知床とは,アイヌ語のシリエトク(地の果てるところ)が語源である。半島の先端まで道路も開通しておらず,道内でも最も人の手の入っていない土地であり,まさに地の果てという呼び名に相応しい。それだけに大自然を満喫できるスポットも多いのだ。
 知床半島で最初に俺が向かったのは「カムイワッカ 湯の滝」という場所である。ここは近年有名になった秘湯で,知床硫黄山から湧き出た温泉が滝となり,その滝壺が天然の湯舟になっているという北海道ならではの豪快な温泉である。実は,俺は昨年もここに来ている。今年はここに来るという予定は全くなかったのだが,近くまで来たら無性にこの温泉に入りたくなったのだ。次はいつ一人旅ができるかわからないからな。近年,この場所は有名になり過ぎ,カップルや家族連れが大勢で押し寄せている。だが,カップルはまだしも子供連れで訪れる親の気が知れない。ここは本来,非常に危険な場所である。自分で自分の安全を確保できる人間しか訪れてほしくないと思うのだ。

 10km程のダートを抜け,俺は滝の入り口に辿り着いた。滝壺の温泉までは,川を30分ほど遡って行かなくてはならない。比較的滑りにくい川の中を歩いて行くのがもっとも安全である。昨年はゴム草履を持ってきていたが,今年はここに来る予定はなかったのでもちろんそんな物は用意してこなかった。滝の入り口でわら草履のレンタルもしているが,俺はボッタクリには一銭も金を使わないという主義があるので,そんな物は利用しない。今回は百円ショップで購入した靴下を履いてチャレンジだ。

 川に浸かった足が,冷たい水が次第に生ぬるくなっていくのを感じる。俺は慎重に上流へと進んで行った。川の中を歩く時はいいが,やはり濡れた岩場を歩く時は靴下では心もとないようだ。「熱っ!」時々,かなりの熱さの湯が岩場から湧き出しているのだ。目的地は近いぞ。
   最難関        絶壁から見下ろすとバカップルがいっぱい

 そして,俺の目の前に4メートル程の絶壁が現れた。ここが最も難関であり,去年も苦労した覚えがある。ちなみに,この絶壁の下にも湯舟があり,ここをクリアーできない親子連れやカップルが水着を着て戯れている。前述したが,俺はこの水着を着て露天風呂に入るというのがどうも好きではない。
 さて,いよいよ絶壁にチャレンジだ。濡れた靴下を脱ぎ,スニーカーの紐に結びつけて輪を作る。それを首から掛けて両手を使えるようにした。三点支持の要領を使って,足場を探しながら登る。さすがに二回目なのでスムーズに登ることができる。さあ,あと少しだ。
 絶壁を登り終えて5分程川を進むと,ようやく終点の滝壺がある。この滝壺が最も大きくて適温だ。この湯舟を堪能できるのは,ここまで辿り着いた者だけの特権だ。さすがにここまで来ると,こうるさい親子連れは少ないようだ。さあ,入浴だ!俺は全裸になって湯舟に飛び込んだ。持ち物はタオルだけだ。ここの湯は酸性が強く,舐めてみると酸味があって緑色をしている。深い部分は2メートル以上あり,足がつかないので平泳ぎで移動した。熱い滝の下に身を置き,俺は知床の大自然を全身に感じていた。

   降り注ぐ湯の滝        湯に打たれながら

 それにしても,ここの人の多さは尋常ではない。もはや秘湯とは程遠い。駐車場(といっても路上駐車なのだが)も車で一杯であったし,昨年よりも人が多くなっている気がする。ここは,夏期シーズン中はマイカー規制されているのだが,この調子では,いずれ一年中規制されることになるかもしれない。だが,秘湯が秘湯のままであるためにはその方がいいのだろう。そうなると,俺がここを訪れるのもこれで最後になるかもしれないな。俺は,酸性が強いため皮膚がピリピリしてくるのを感じながら深く目を閉じた。さようなら,カムイワッカ。いつかまた訪れた時,決してその姿を変えないでいてくれ。俺は強く願った。




to be continued…


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