旅日記北海道編2002 友情(2)

 HP「塀の中の懲りない面々」に連載中


太郎湖・次郎湖

太郎湖

 国道240号を北上し,阿寒湖方面へ向かう。カーステレオから流れるアップテンポな曲が,俺の気持ちを一層高ぶらせる。阿寒湖付近のこの国道は,まりも国道といわれているらしい。前方を走るなべさんの車が突然停車したので俺も慌てて車を停めた。
「おえ。ここも見てくべ。」
 どうやらここは雄阿寒岳の登山口だったらしい。なべさんはどんどん山道に踏み込んでいく。まさかこれから登山?
「ここから太郎湖,次郎湖っちゅ〜湖が見られるんだぁ〜。」
 なべさんが説明してくれた。なるほど,聞いたことがある。阿寒湖の端に寄り添うように存在する太郎湖・次郎湖という小さな湖のことを。この湖は目立たず,その存在を確認するには険しい道を歩かなければならない。北海道人でも知る人の少ないというマイナースポットだ。山道を500メートル程歩くと視界が開け,阿寒湖から勢いよく水が流れ込む太郎湖の姿が目に飛び込んできた。雄阿寒岳の噴火で出来たという太郎湖は,小さい湖と聞いていたが,なかなかどうして。見応え十分だ。何より他に人がいないのがいい。 木の皮を鹿が食べた痕

「ここに鹿が水を飲みに来るんだぁ〜。」
 なべさんが湖岸を指差した。旅行者は,つい有名な観光地にばかり目がいってしまうが,ちょっと脇道にそれるだけでこれほど素晴らしい景勝地に出会えてしまう。北海道は偉大だ。

 ここまで来たら次郎湖も見てみたいのが人情というものだ。俺達はさらに山道に踏み込んだ。次郎湖へ向かうにはけっこうな距離を歩かねばならない。しかも道が険しい。平気で倒木が行く先を遮っているのだ。なべさんが足を止めた。
「見ろ,おえ〜。鹿が食ったんだ。」
 確かに木の皮がきれいに剥かれているし,地面には鹿のふんが転がっている。ここは動物達のテリトリーなのだ。俺達人間は,ここにお邪魔している,見させてもらっているんだという意識が必要だと思う。いよいよ次郎湖が見えてきた。
 これは…。俺は言葉を失った。周囲の森を波ひとつない湖面に映し,次郎湖は静かに広がっている。山道を歩いた疲れも吹き飛ぶ,素晴らしい景観だ。白く朽ち果てた倒木が,またいい味を出している。 俺はしばし湖岸に佇み,鳥の声に耳を傾けた。いい気持ちだ…。

 この場所は俺的にかなりのヒットだ。俺の好きな風景ベスト10には確実に入るだろう。それにしても,このような場所には,なべさんの案内無しでは決して訪れることはできなかっただろう。本当に,ただ感謝である。


  山道         次郎湖




オンネトー


オンネトー  観光客なら誰でも立ち寄る阿寒湖を素通りし,俺達は真っすぐオンネトーを目指した。オンネトーとはアイヌ語で「老いた沼」の意味である。雌阿寒岳のふもとにあるオンネトーは,見る角度によって湖面の色が変化して見えることから別名「五色沼」ともいわれ,阿寒地区でも特に景観の美しい場所として知られている。今までの旅ではまだ行ったことがなかったため,今回の旅で俺が最も楽しみにしている場所のひとつである。果たしてその美しさはどれ程のものか?

 有名な場所だけあってそれなりに車も多い。わずかに残った駐車場のスペースに車を停め,湖に駆け寄る。おおっ!これはすごいぞ。俺はその青い湖面に釘付けになった。近寄ると確かに綺麗な透明色の水である。だが,少し距離を置き,見る場所を変えただけでその色はブルーに,あるいはグリーンに変化して見える。いや,ブルーとかグリーンとかそんな単純な色ではない。どんな言葉でも写真でも表現できない美しさだ。

   オンネトー2        デジカメの限界だね

 単純に空の色を映しているだけではこの色は出せないだろう。確か,この湖は硫黄を多く含んでいるため魚が全くいないということを聞いたことがある。水に溶け込んだ硫黄とか鉱物がこのような色にさせるのか。様々な繊細な表情を見せる湖,オンネトーか。俺は,裏摩周の近くにある「神の子池」のブルーを見て以来の衝撃を受けていた。俺はあちこち場所を変えて写真を撮りまくったが,この湖を見たままに表現できるような写真はとうとう撮れなかった。なべさんも同様で,この場所でデジカメの充電を切らしていた。ならば,せめてこの風景を目に,そして心に焼き付けよう。写真を撮ることばかり気をとられ,忘れていた気がする。それは,今,この時間に,全身でこの場所を感じ,楽しむということ。視覚だけではない,空気の匂いを,鳥の声を,肌に感じる風を。その時,湖の向こうに仲良く並んで見える雌阿寒岳と阿寒富士が少し微笑んだ気がした。




オンネトー湯の滝


 北海道の魅力は,食べ物の美味しさや景観の美しさだけではない。豊富な温泉もその魅力のひとつである。それも,無料の露天風呂が多数存在するのだ。ここ,オンネトーにも無料の露天風呂があり,その名も,「湯の滝」というらしい。「湯の滝」へは車で乗り入れができないので,駐車場に車を停めて徒歩で向かわなければならない。俺達はタオル一枚を手に持って林道を歩き始めた。この林道は,生い茂った木々で左右の見通しが全く利かない一本道だ。「湯の滝」までは片道2キロ程あるという。道東の秋は涼しいというより肌寒いのだが,歩いていると少し汗ばんでくる。さすがに,長い道のりを歩いてまで温泉に入りに行くような物好きは少ない。俺達は,思い出話を楽しみながら林道を進んでいった。

 その時である。向こうから女性の二人組が歩いてくるのを認めた。近づくにつれて,それは若い,女子大生風の二人組であることがわかった。すれ違った瞬間,俺となべさんはあることに気が付き,思わず顔を見合わせた。湯上り風…。しまった!!この二人は今,温泉から出たばかりだ!確か,「湯の滝」は混浴だった筈だ。オンネトーをゆっくり見すぎたのだ。景色を見るのは温泉の後にすればよかった!一瞬のうちに様々な思いが頭をよぎり,俺は地団駄を踏んで悔しがった。なべさんも同様で,手刀で倒木を叩き折っている。一通り悔しがった後,俺達は無言で歩き出した。歩調はだんだん早くなり,やがて小走りになった。

湯の滝

 急に視界がひらけ,ちょっとした広場に到着した。どうやら目的地のようだ。途中から走ったため,意外に早く到着したのだ。少し息切れしている。年はとりたくないものだな。広場の奥にはヤマメのような魚が沢山泳ぐ小さな池と滝,さらに先へと進む坂道が見える。滝の水を触ってみたがぬるかった。どうやら温泉はさらに先にあるらしい。俺達は迷わず先に進んだ。「湯の滝」というくらいだから豪快に温泉が流れ落ちる湯船を想像していたが,実際は小さな円形の露天風呂であった。今は誰も入浴していない。やはりすべてが遅すぎたのだ。悔やんでも悔やみきれない,一生の不覚だ。

 気を取り直し,温泉を観察した。この温泉は遊歩道のすぐ横にあり,人が通れば丸見えだ。脱衣場は遊歩道を挟んで反対側にあった。ここまで来て入浴しないわけにはいかない。もちろん全裸だ。よく無料の露天風呂に水着を着て入浴する輩がいるが,そんな奴は露天風呂に入る資格などないのだ。基本は全裸,女子はタオル巻きまでは可だ。

 さて,肝心の湯加減はどうか。なべさんは一足早く温泉に飛び込んでいた。「おえ〜!極楽だ〜!!」俺も後に続いた。うん,なかなかいい湯加減だ。その時,俺はツルリと足を滑らせた。底がヌルヌルしていて滑りやすいのだ。危なかった。受身を取らなければ大怪我をしていたところだ。俺達はしばし湯船に浸かり,身体を温めながら先程の滝の方を眺めた。やはり,この場所を訪れる人はいても,なかなか温泉にまでは入らないらしい。実際に何組かのカップルが訪れていたが,皆,下の池で魚と戯れるだけで上にまでは登って来ない。ひょっとして俺達が入浴しているからか。まあ,根性のないバカップル共は,魚と戯れるのがお似合いだ。俺達は30分ほど入浴していたが,温泉まで登ってきたのは,おっちゃんと若いライダーの二人だけだった。 温泉,というよりは池

 さて,この温泉よりさらに上にもうひとつ湯船がある。この場所は,湯の中の微生物によって酸化マンガンが生成される世界的にも珍しい場所なのだそうだ。こちらはその現象の保護のため,入浴は禁止されている。専門的なことはわからないので,珍しいと言われてもあまりピンとこないが。ここの湯船や,先程見た滝が黒っぽかったのは酸化マンガンによるものだろう。

 さて,そろそろ戻るとしようか。もう一度,あの2キロ程の林道を歩くと思うと足取りが重い。振り返ると,まだ数組のバカップル達が池で魚と戯れていた。こいつら,一体何のためにここまで来てるんだ?疑問だ。




チミケップ湖


 「おえ〜!気をつけて行け〜。」オンネトーでなべさんと別れ,俺は再び一人になった。夕方までには今晩宿泊するサロマ湖に到着しなければならない。だが,その前に,俺はもうひとつ見ておかなければならない場所があった。かつて,北海道三大秘湖のひとつと言われたチミケップ湖である。チミケップ湖とは,沢の地すべりで川がせき止められてできた,一周約7・5キロの断層湖。原生林に囲まれた美しい湖ということで,今回の旅のなかでも特に楽しみにしている場所である。
 津別から道道494号へと入り,まっすぐ西へ進む。途中,一度も車とすれ違わなかった。舗装された一本道はやがてダートになったが,かまわず先に進む。さあ,あと少しだ。

通行止め!ショック!!

 その時!目の前に現れたのは突然の通行止めの標示であった。なるほど,確かに一台も車が通らない筈だ。何ということだ!ナビにはチミケップまであと3・5キロとある。あと少しだというのに…。俺は車を停め,しばらく考えた。たしかチミケップ湖には北見方面からも行ける筈だ。だが,もう太陽はだいぶ西に傾いている。今から回り道している時間はない。諦めるか?だが,俺は諦めの悪い男だ。行こう!まだ見ぬチミケップ湖へ。意を決して,俺は車から出て歩き出した。

 両側に原生林が広がった未舗装の道が真っ直ぐ続いている。その時の勢いで歩き出してしまったが,片道3・5キロでも往復すれば7キロだ。たいした距離ではないが,今日は太郎湖・次郎湖やオンネトーで歩きっぱなしだったのでさすがにきつい。帰りのことも考えると俺は少し後悔し始めていた。喉が渇いた。ペットボトルを持ってくればよかった。確か,この道は一本道の筈だが,所々,森に向かっていく分岐点もあり,本当にこのまま真っ直ぐ行っていいのか不安になってくる。よくよく考えてみると,俺は今,携帯も通じない林道の中を一人でいる。人の全く通らないこの道で,もし迷ったら…。俺は背中に寒いものを感じ,小走りで駆け出した。どれくらい走っただろう。目の前に簡素な木の看板が見えた。「鹿鳴の滝(ろくめいのたき)」とある。俺が事前に調べた情報では,この滝はチミケップ湖のすぐ近くにあった筈だ。良かった。

   看板が見えた。ほっとしたよ。        鹿鳴の滝

 俺は少し元気が出たので,ついでにこの滝も見ておこうと思った。看板の案内に従って,斜面を下りて行くと,それ程歩かずに鹿鳴の滝に辿り着いた。滝といっても,それは滝のイメージではない。階段状の岩場の上を,渓流が流れているという感じで落差はほとんどない。だが,この綺麗に階段状になった岩場は,当然自然に出来た物だ。どうやったらこのように岩が削れるのか。まさに自然の驚異だ。この滝の名前の由来は,アイヌに追われた鹿が,この滝を越せずに鳴いたことからきているらしい。迫力には欠けるが,なかなか趣深い場所だ。

 鹿鳴の滝から少し歩くと,ようやくチミケップ湖が見えてきた。静かだ…。俺は一人,湖畔に佇んでいた。そう,完全に俺一人なのだ。今,俺の視界の中には,静かに息づくチミケップ湖とエゾマツ等の原生林とが広がっているだけだ。一人の観光客もいなければ,人工物の欠片もない。これは実はすごい事かもしれない。ちょっと景色の良い場所はすぐに観光地化される北海道で,ここまで人の手が入っていない場所があるなんて。まさに秘湖は健在であった。

   チミケップ湖        静寂

 俺は湖畔に腰掛け,鳥の声に耳を傾けた。本当に静かである。大自然の中で「ひとり」をかみしめること,それはとても貴重な経験なのだと思う。今は,この孤独感さえも心地いい。湖面は少し暗くなり始めた空を映し,波も立てずに広がっていた。この湖は,全貌を眺められるような場所もなければ,公共交通機関で行くこともできない。ましてや観光バスが入り込むこともない。人に媚びない湖,チミケップ湖か。願わくば,いつまでも変わらずに気高く,美しくあってほしい。
 帰り道は当然同じ道を行かねばならない。だが,俺の心は晴れやかだった。




to be continued…


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