‥‥そんなワケで、屈斜路原野ユースホステルに泊まっていたあたしは、まだ真っ暗な朝5時30分に起床し、熟睡していたKさんを起こした。玄関の二重扉をを開けると、未明の冷たい空気が一気に襲ってきて、あたしは身震いした。
暗闇に、吐く息だけが白い。デミオ君の窓はしっかり凍りついていた。あたしは、風呂場から湯を汲んできて氷を溶かした。
あたしとKさんは、デミオ君に乗り込み、まっすぐ東の摩周湖を目指した。
北海道の道路は、本当に要所要所しか外灯がないから、今の時間は真っ暗だ。でも、東の稜線が微かに緋色に染まり始めている。
早朝の摩周湖第一展望台には、駐車場に1、2台の車が停まっているだけだった。さすがに早朝から料金を徴収するおばちゃんはいない。
周囲は誰もいなくて静まり返っている。あたしとKさんは、湖に近付いた。
………。
あたしは息をのんだ。微かに明るくなり始めた湖面が冷たく輝いていた。波一つない湖面は、まるで鏡のようだった。
静寂を絵画にしてキャンバス閉じ込めたらこんな風景になるのだろうか、なんて、あたしは柄にもなく考えてしまった。あたしは、時間を忘れて登る朝日と湖面を交互に眺めた。振り返ると、屈斜路湖の淡いブルーが広がっていた。
長時間寒いところにいたので、体がリトル冷えてきた。同じく、寒そうにしているKさんとデミオ君に乗り込む。
明るくなった空がすごく綺麗で、今日もいい天気になりそうだと予感させてくれる。あたしは、後ろ髪を引かれつつ、摩周湖を後にした。
ユースに着くと、朝食のいい香りが漂っていた。Kさんはよほど眠いらしく、ベッドに直行してしまった。しばらくロフトで待っていると、オーナーが朝食の準備ができたと声を掛けてくれた。Kさんは朝食を頼んでいないらしく、眠ったままだった。
あたしは焼き魚や茶碗蒸しといった純和風の朝食を楽しんだ。
食後、荷物をまとめたあたしは、屈斜路原野YHを後にすることにした。Kさんは相変わらず爆睡している。よほど眠かったのだろう。早朝から付き合わせてしまって申し訳なかった。
確か、Kさんは連泊して、周囲をユースの自転車でまわると言ってた。あたしは書き置きと、使い捨てカイロを残し、部屋を出た。
オーナーとヘルパーさんに見送られ、あたしはデミオ君のエンジンをかけた。屈斜路原野ユースホステル…。安くて食事も美味しくて、居心地が良くて、ユースとは思えないすごくいい宿だった。
今回の旅で、あたしに残された時間は少ない。残り時間を目一杯楽しもう。
途中、「摩周湖のあいす」という店に寄り道して、ソフトクリーム(特濃ミルク 300円)を買って食べた。名前のとおり確かに濃くって、あたしは気にいった。
デミオ君を南に走らせる。釧路空港からセントレア行きの飛行機は、午後の1日1便しかない。ゆっくりもしてられないけど、そのまま空港へ向かうんじゃ味気ないと思ったので、釧路湿原に寄り道することにした。
あたしは、シラルトロ湖の駐車場で、なべさんに電話をした。
「おえ!気を付けて帰るべや!!」
なべさんは相変わらず元気だった。また必ず釧路に来るべや!あたしは心に誓った。
目の前に、古代の大河のような釧路川が広がった。デミオ君を停めて河畔に立つと、沢山の釣り人で賑わっている。川の近くには朽ちかけた列車が放置されていて、寂しげだった。
細岡展望台に到着した。一昨年、車中泊した駐車場にデミオ君を停める。シーズンオフなので、観光客も少ないみたいだ。
あたしは欽ちゃん走りで展望台に向かい、湿原を眺めた。旅の初日に、なべさんと眺めた展望台からは、全く逆方向からの眺めになる。でも、細岡展望台からの方が、蛇行して流れる川の様子なんかが近くに見え、自分が湿原の真ん中にいるみたいに感じることができて、あたしは好きだ。
釧路市街に入ると、休日だけあって道路がすごく混んでいた。フライトに間に合わないワケじゃないけど、久し振りに経験する渋滞に、あたしはリトル苛立ってしまった。
市街を抜け、太平洋沿いを西に走る。あたしは、直接釧路空港には向かわないで、最後の寄り道をすることにした。
道の駅「しらぬか恋問」。何だかロマンチックな名前の道の駅で、あたしは気に入ってる。ここでのお目当ては、豚丼だ。豚丼っていったら、もちろん帯広が有名なんだけど、あたしは、ここの豚丼は本場に負けてないって思ってる。レストラン「むーんらいと」の「この豚丼(870円)」は、炭火で焼いた豚肉やタレが美味しいのはもちろんだけど、ご飯がシャキっと炊けていて、丼物の命はご飯だと、再認識させてくれる味だった。
あとは空港に向かうだけだ。しんみりした気持ちでデミオ君に向かうあたしの背中を、ザンギ(唐揚げ)の屋台から流れる「1・2・ザンギ、2・2・ザンギ、ザンギザンギザンギ〜♪」という間抜けな歌が、見送ってくれた。
‥‥そんなワケで、釧路空港で無事、ドロドロになったデミオ君を返したあたしは、セントレア行きの飛行機に乗っている。
窓の下には、さっき眺めた湿原や山々が広がっていた。やっぱり、道東は3泊4日で旅するには広すぎる。今度来る時は、もっと時間をかけて旅したい、なんてことをあたしは、ぼんやり考えていた。
ひとつの旅を終えた心地いい疲労感から、あたしは目を閉じた。このまま、感傷に浸りながら眠りにつこうとするあたしの頭に甦ったのは、「1・2・ザンギ、2・2・ザンギ、ザンギザンギザンギ〜♪」という「ときめきザンギの歌」のフレーズだった。
この歌はしばらく頭から離れないな、なんてぼんやり考えてるうちに、飛行機はもう着陸態勢に入ってしまってる今日この頃なのだった。